教えを説いて与えることはすべての贈与に勝り、教えの妙味はすべての味に

まさり、教えを受ける楽しみはすべての楽しみにまさる。妄執を滅ぼすことは

すべての苦しみに打ち勝つ。(第24章 354 中村元訳「真理の言葉」より)

原因と縁とにより結果が生まれる。何故か六道の内人間界に生まれたのは非常に稀なことだ。仏陀の説法を聞けることは尚さら稀な幸運だ。地獄、餓鬼、畜生、修羅等に二度と生まれ変ることないように、教えを守って苦しみに打ち勝ちたいものです。       伸14/7/18

飢えは最大の病であり、形成された存在(=わが身)はもっともひどい

苦しみである。このことわりをあるがままに知ったならば、ニルバーナという

最上の楽しみがある。 (第15章 203 中村元訳「真理の言葉」より)

最大の病である飢えの原因は作られた我が身という実体のない形成されたものとしての自我意識をいう。肉体を自我と思い込み人々は苦しむ。美醜,勝敗,損得,愛憎,死の恐怖これらの苦しみは飢えのように身をさいなむ。ある豊かな土地を得たい為にそこに居る大勢の人々を武力で殺したり追い出したりした者が愛国者という呼び名を持つに至る。これこそ形成された存在であり,最もひどい苦しみである。いま仕返しを恐れている。貧困と飢えは略奪と愛国心と仲が好い。6/28伸

昨今、世界中で民族,宗教,国家,主義勢力の対立は深まり救いをその中に求めるという愚を犯している。自我を拡大しただけの民族、宗教、国家、主義の観念は「形成された存在」そのものでひどい苦しみである。常住でないものを常住のものとおもう誤った自己認識が苦に到らしめる。握り締めたこぶしをゆるめて民族,宗教,国家,主義を如来にゆだね争わずそれぞれの立場を尊重して平和に暮らすことだ。 7/1 伸

アーラヴァカ神霊は師に次の詩をもって呼びかけた。「この世で人間の最上の富とは何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか?実に味の中での美味はなんであるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」
「この世では信仰が人間の最高の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。
実に真実が味の中での美味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという。」中略
「ひとは信仰によって激流を渡り精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる。」 

      仏陀の言葉スッタニパータ181〜184 中村元訳より


仏教信仰は最高の富であるのに信仰と徳行がすたれ貧となり金を拝む宗教がはびこった。伸 6/23

経済と物欲によって激流が生じている現状だ。仏教に精励し如来の教えをよく学ぶことによって苦しみを超え、智慧によって全く清らかになろう。    伸 7/1

眠れない人には夜は長く、疲れた人には1里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには生死の道のりは長い。         (真理の言葉60)

正しい真理を知らず目先の欲望だけに囚われて悪事をなし地獄へ落ちればすさまじい長さの期間脱することができない。輪廻とは地獄の苦しみが長く繰り返し続くことを意味する。釈尊はそこから逃れる方法を人々に説いた。 伸14/7/18

 

 旅に出てもしも自分より優れた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。                              (真理の言葉61)

これを学んだ人で私よりすぐれた方々は一人でいくでしょうから私も一人でいくしかない。自分に等しいものに会えたらみちずれにできるということです。伸14/7/18

 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。  (真理の言62)

 自己管理のできないものは自我にふりまわされ目先の損得だけで判断し後で悔いる。ということか。 金で真理を知ることはできないだろう。神仏のご加護も買うことはできない。逆に金で買えるものは泡沫の物しかない。長い魂の旅の一瞬の幻に過ぎない。地獄の沙汰も金次第は誤り。砂漠の真ん中で泉と金を選ぶとすれば当然泉の方へ行くだろう。それより自分の歩行する体力が欲しいかも。いまでは金も名誉も健康も欲しい人々が多いことに唖然とする。神仏の恵みに感謝するどころかまだ足らないと不足を言っている。地獄行き列車は満員だ。   伸14/7/18               

子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死に捉えられた者を、親族も救い得る能力はない。       (真理の言葉286)

心ある人はこの道理を知って、戒律を守り、すみやかにニルヴァーナに至る道を清くせよ。                 (真理の言葉289)

釈尊ですら肉体の死を迎えられたのだから凡人が死を免れることはない。死を厭うべきではない。自己管理をして来るべきニルバーナに専心できるよう、今日の光に感謝するものは多彩に描き、調べに感謝するものは美しい音色の楽器を演奏し、躍動に感動するものは踊り、この生命に感謝して何かできることをする。神仏に命に答える生き方をしたいものです。

                            伸14/7/18

戻る