第十 不邪見戒
八正の道広けれど 邪見の人ぞ踏み迷う
己(おのれ)が顔貌智慧技量 皆善悪の影ぞかし
凡そ悪業多しと雖も此れを摂せば十悪を出でず。
十悪また貪瞋痴に摂す。貪瞋痴の起こることは
何となれば唯この第十正智不邪見戒の因果応報の
真理を不信、不明の致す所なり。されば精神
確固不抜に善因善果悪因悪果の因果応報の理
に確順するのほかあらざるなり。
この十戒の中余の九種の不善業を発起することは
一つにこの正智不邪見戒の確立如何によるものなれば
最も厳誡すべきはこの不邪見戒なり。
八正道とは邪道を離るる正しい道を謂う。
一、正見、因果の真理を信じて外道の断常、有無
の邪見を離るるを謂う
二、正思惟とは四諦(苦集滅道)の真理を悟得して明瞭に
諸法を弁別する。
三、正語、能く口業を摂して妄語、綺語、悪口
両舌を離れる。
四、正業とは、殺生、偸盗、邪淫、を離れ戒定慧の
正道を実行する。
五、正命とは利養のため偽って奇相、異行を現じ
利養の為に高声畏敬、偉容を誇示するなど
偽り多き諸行を防ぎ仏の戒律に順じて生活する。
六、正精進 とは能く勉励して断悪修善に堪えうるなり。
七、正念とは戒定慧の正道及び不浄観、数息観等によって
法を思念して涅槃求むるなり。
八、正定とは心を一境に住して諸の散乱を防ぎ身心寂静
にして真空の理に住す。
以上の八正道は我等仏戒を奉ずる者の断悪修善の要道
転迷開悟の指南なり。
然るに今邪見の人は八種の正道に智慧暗く生死の牢獄出離の希願
無く眼前刹那の名利歓楽に終始する状、遺憾の極みなり。
次の二句は正しく不邪見戒、因果の相を示せり。邪見とは我見に
まかせて神仏をないがしろにし、因果を撥無するなどよこしまなる
見解を立つるなり、故にこの類甚だ多しと雖も要は断見と常見なり。
断見にも色々あれど、先ず善をなして好報なく、悪をなして悪の報い
なく、神と言い仏というも眼前に見るべきならねば、これも無きこと
と思い定むるを断見と言い、常見色々あれども、しばらくは常に人となり
畜生は常に畜生となりて、人が畜生となるべき理なく、鳥獣虫魚等畜生
の類が人となるべき理なしと思い定むるを常見という。
これらは皆今世界は、衆生の善悪の業因によって万般を顕現するものにして、
大智度論には一切世間、唯因果無人と説きて、因果の外に我人、衆生なく
また能造の主等なきを明説せられ、また楞嚴には十界は循業発現なりと
明示せられたり。
此の原因、結果の理を信じて疑わざる時は自から仏法僧の三宝、出世
無漏の浄法に於て仰慕の志を発現し、一切衆生において同体の慈悲をも
発生すべし。
此れを菩薩の発菩提心と言い、三業清浄にして他を憐愍するの心、内に
成就すれば此れを菩薩の戒体と名付け菩薩の十善戒と名つくるなり。